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>> 島の歴史

 
   
   
   

会社支配による治外法権的な社会体制は、玉置商会から東洋精糖、日糖時代へと引き継がれ、戦前まで続いていたが、昭和21年6月、開拓以来初めて村制が施行された。
さらに米軍政府により、大日本製糖から北大東島が接収された。燐鉱事業もアメリカ人が指揮をとり、大型機械による採掘、運搬を行ったが、手掘りと異なり、土や石も一緒に搬入してしまうため、品質が落ち、積み出し禁止になり閉山。事業開始以来、およそ80万トンを積み出した燐鉱所が昭和25年に幕を閉じた。

   
         
   

1958年(昭和33年)北大東製糖株式会社創立

昭和39年、土地問題合同会議で、キャラウェイ高等弁務官の「土地所有権は農民にある」との最終決定が出た。
これにより農民は初めて自分の土地を持てるようになり、製糖業が本格化し、燐鉱の島から、さとうきびの島へと転換していった。

1971年(昭和46年)北大東空港簡易滑走路落成
1973年(昭和48年)「ダイトウオオコウモリ」と「長幕の崖及び崖錐壁の特殊植物群落」が国指定天然記念物に。

   
         
   

協栄丸燐鉱業所が閉鎖されて以来、軍用船の往来が途絶え、本島からの不定期な漁船や貨物船に頼っていたため、食糧難に追い込まれることも度々あった。しかし、昭和50年、南北大東専用の定期船「協栄丸」の就航により大東航路が一本化され、島の暮しは安定した。

昭和61年、協栄丸は、大東海運に譲渡され大東丸と改名。

   
         
   

ツインオッター

昭和53年、北大東飛行場が落成・開港し、週3便の運航が開始された。

(右写真)デハビラント社製DHC-6・ツインオッターが就航し、離島と本島を短時間で結んだ。(参照:さよならツインオッター

   
         
   

海水淡水化施設内部●海水淡水化施設
天水にたよっていた生活用水も昭和61年、村民待望の海水淡水化施設の完成により水不足が解消された。

(右写真)旧来の天水タンク。
池の水を汲み上げていた時代より風土病は減ったものの、利便性や貯水量の点で問題は多かった。

   
         
   

●なかよし塾
1993年(平成5年4月)村営学習塾「なかよし塾」開塾

●ハマユウ荘1997年(平成9年)宿泊施設「ハマユウ荘・うふあがり島」落成。

●空港滑走路/DHC8型機
平成5年10月、飛行場滑走路が1500メートルに拡張、那覇および南・北大東間飛行ルートが新設された。39人乗りのDHC8型機の毎日の運行によりこれまで大半を週一便の船に頼っていた島民の生活が、大幅に改善された。

平成9年10月、北大東空港供用開始。
平成9年10月9日空港供用開始

大東諸島開拓100周年記念式典●TV放送開局
平成10年、衛星放送による地上波テレビ放送が開始された。
これによりNHK-BS放送の他、総合・教育・民放3社の視聴が可能になった。

●100周年記念式典
平成12年9月、大東諸島開拓100周年記念式典が行われた。
厳しい環境の中で開拓100年を迎えた思いは、これからも島民の夢と繁栄を支えていく。