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>> 島の歴史

 
   
   
   

大東島が初めて確認されたのは1543年。
デ・ラ・トーレというスペイン人がメキシコに向かう途中、2つの大きな島を発見。「二人姉妹」という意味のラス・ドス・ヘルマナス島と名付けられました。
これが南北大東島の事だと言われています。

1595年発行の「東洋航海記」には、琉球が「レキオ・グランデ」、南北大東島が「ラス・ド・ヘルマナス」、沖大東島は「マロスブリガ」と示されている。その後、沖大東島については17世紀後半から19世紀前半のヨーロッパの地図に「アムステルダム」や「ラサ島」という呼び名で紹介されている。

1820年、ロシアの艦船「ボロジノ号」が大東諸島を発見し、船の名にちなんで「ボロジノ諸島」と命名した。

1853年、ペリーが小笠原調査の帰途,南・北大東島を「ボロジノ諸島」と確認し、位置を測定した。当時、ペリーの報告書には 「その島はサンゴからなる島で、最も高いところは海抜40フィートであった。大きな樹木に覆われている事から、かなり古い島らしい。島の周囲の海岸には、安全な停泊場所となるような湾は見あたらなかった。人影も発見されないので無人島と推察される」 と記されている。

明治18年、時の沖縄県令西村捨三が内務省の内命を受けて、8月28日出雲丸で石澤兵吾他5人を派遣、大東島を領土に組み入れる最初の調査であった。
報告書によると 「大東島は沖縄島の真東の方に位置し、古来その存在を認めるものの渡航した者が無く、この度は踏査(とうさ)を遂行して大東島を日本の地図に入れること…。海岸は断崖絶壁で端艇(たんてい)を寄せる事もできず、止むを得ず進路を南にとり、島を一回りしてしばらく、その北岸に於いて上陸することができた。絶壁をよじ登ると、草木がうっそうとしており、ところどころに岩石が切り立っているのが見える他は、土も何処にあるか見ることもできない程であった…。内部に入ると、満面「クバ」の樹をもって覆われ、藪の中は昼なお暗く、もとより人跡がないので街道は言うに及ばず、小道すら無いのである。」 と記録されている。
8月31日、調査を終えた一行は、国標を建て、両島を「大東諸島」と公称して、日本の領土であることをはっきりさせた。